『実践 英文快読術』 行方昭夫

 
読み終わりました。

実践 英文快読術 (岩波現代文庫)実践 英文快読術 (岩波現代文庫)
(2007/12/14)
行方 昭夫

商品詳細を見る


巻末に、腕だめしの英文が3つ載っているのですが、そのうちの1つが、
先日お話ししました、Aldous Huxley の Spectacles という小エッセイでした。

眼鏡の思い?

入試問題を的中させたみたいで、なんだかうれしい。

ただ、やっぱり、行方先生の訳は、うまいなぁ。。
原文、私の訳、朱牟田夏雄先生の訳、行方先生の訳、と並べてみます。
 
 

Moreover, there is a further safety in a numerous supply: for matter, who can doubt it? is not neutral, as the men of science falsely teach, but slightly malignant, on the side of the devils against us. This being so, one pair of spectacles must inevitably break or lose itself, just when you can least afford to do without and are least able to replace it. But inanimate matter, so called, is no fool; and when a pair of spectacles realizes that you carry two or three other pairs in your pockets and suit-cases, it will understand that the game is hopeless and, so far from deliberately smashing or losing itself, will take pains to remain intact.



失礼して、まず、私が先日やってみた訳。

何個も持ち歩いていると安全だという、さらなる理由があるのです。というのも、物質っていうのは、(疑問の余地があるでしょうか?)無意思ではなくて、(科学者はウソを教えておる)やや意地悪。人間側でなく悪魔寄り。だもんで、眼鏡は、自分一つしかないと思うと、必ず、ひとりでにこわれるか、なくなるかする。それも、よりによって、こちらが眼鏡なしでは一番困るとき、かつ、代わりの調達が一番難しいときをねらって、です。しかし無生物も、『無生物』などと呼ばれるが、決してバカではない。眼鏡は気がつく。あ、ポケットやスーツケースに、他に2、3個あるなと。すると、これはもう勝ち目がないと観念し、自分でわざとこわれたりなくなったりするどころか、わが身の安全確保に、苦心するようになるのである。 


うまく訳そうとして、不安定になってますね。
そして、カッコ使いが下手。ぎこちない。


次に、朱牟田夏雄先生の訳。(『英文をいかに読むか』p.115)

のみならず、めがねをたくさん持っているとまだ安全なことがある。というのは物質というものは、科学者たちが誤って教えるのとはちがって、決して無意志なものではなく、いささか意地がわるくて、われらの敵の悪魔の味方だからである(このことを誰が疑い得ようか?)。そういうわけだから、めがねが一つしかなければ、必ずひとりでにこわれるかなくなるかする。それも、なしですませるのが一番困難であり、補充も一番むずかしい時をえらんでだ。けれどもいわゆる生命なき物質も、決して馬鹿ではない。めがねの奴、この人はポケットやスーツケースにもう二つか三つ別のを持っているなと悟ると、こりゃもう勝負にならぬと観念して、わざと、こわれたりなくなったりするどころか、一生懸命になって身の安全を保とうとするのである。


そうか。"as the men of science falsely teach" を逆接に変えて、
「科学者たちが誤って教えるのとはちがって」とした上で、
あの場所に入れればいいのですね。技術だなぁ・・・。
ただ、「このことを誰が疑い得ようか?」が、あそこに入るのは、どうか。
朱牟田先生は、"aginst us"までを、"who can doubt it?"の範囲と
お考えになったのですね。


行方昭夫先生の訳。(『実践 英文快読術』p.317)

それに、たくさん持参しているとさらに安全なことがある。というのは、物質というものは、科学者が誤って教えているのとは違って、無意志などではなく―この点を誰が疑うことができようか?―少し意地悪で、悪魔に味方して人間にいたずらをしようとするからである。それだから、眼鏡の場合も一対しか持っていないと、きまってこわれたり、どこかに消えてしまったりする。それもなくてはどうしても困る時だとか、補充がとうてい不可能な時に限って、そのような事態が生ずる。しかしながら、無生物は、無生物などと呼ばれているけれど、決して間抜けなどではない。だから眼鏡は、人間がポケットやスーツケースの中に予備の眼鏡を2、3個用意していると気付くと、自分に勝ち目がないと判断する。そしてわざとこわれたり、姿を消したりするのは一切あきらめて、もっぱら保身のための努力をするものなのである。


科学者うんぬんについては、朱牟田先生と同じ工夫をされている。
そして、"who can doubt it?"を、うまい場所に訳出されてますね。
他の部分も、さりげなく、いろんな技を使っておられます。


何かときどき訳してみて、勉強するのも、おもしろいですね。
 
 

コメント

コメントの投稿