一つの belief に、さようなら

 
1時に起きてしまったので、さて何をしようかと思ったんですが、
長いこと(1年ぐらい?)ほったらかしていたこちらを、読んでみました。
 
 
英文をいかに読むか英文をいかに読むか
(1959/01)
朱牟田 夏雄

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これの「第三編 作品研究」。
Aldous Huxley の "Doodles in the Dictionary"(doodle は、落書き)
というエッセイの全文を解説してはります。

3500語ぐらいのを、24個にわけて、語の説明と、和訳をつけてはる。
1個ずつ、ざっと読む→説明を読みつつ読む→音読する みたいに
「精読」いたしました。英英・英和もかなり引きました。

こういう読み方というのは、ここ10年以上、ほとんどしてなかったんですが、
いや~、おもしろかったです。
ざーっと読んだだけだったら、こんなに楽しめなかったんではなかろうか。。

もちろん、ざーっと読む読書もいいと思いますし、ふだんはそうします。
でも、こういう「精読」も、いいんではないかなぁ。

朱牟田先生の解説にも、間違いが無いとは言い切れないでしょうし、
読んでて、オレはそう解釈しないってことも、(生意気にも)ありました。
けど、ざーっと読むだけだったら、もっと粗っぽい、間違った読みに
なってただろうし、こんなに楽しめなかっただろうな、と確信できます。

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だいたい、英語は英語で、日本語を介しちゃいけない、という考えは、
私の場合は、『英語は絶対、勉強するな!』によって、叩き込まれたのでした。

酒井先生のtadokuを、他を排除する「他毒」だ、って言って批判している私ですが、
信奉する『英絶』にしてからが、実は強烈な「他毒」なんですよね。。。
母語を介する勉強をしたら、元に戻ってしまうぞ、ゼロになるぞと、
かなり脅されますから。

で、その「他毒」に強烈な影響を受けているということに、
私、実はあんまり、気がついてなかったんですよね。。。

ある人から、「もう英絶とも、さよならしてもいいかもね」と言われたとき、
意味がわからなかったんですね。
英絶は素晴らしい方法だろう、なんで別れなきゃいけないんか?と。
英絶にがんじがらめになっていることが、他人からはよく見えたというわけで。。

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昨夜(というか今朝?)、Huxleyのエッセイを朱牟田先生の解説で楽しんで、
思いました、あー大丈夫だわと。何をあんなに恐れていたのかと。

っていうか、ここ何年かは、少しずつ、「日本語恐怖症」の呪縛から、
解けてはいたんですよね。日本語訳を先に読んだりと。

それが昨夜、ほぼ完全に、はずれたような気がします。

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『英絶』も、もちろん、いい方法だと思いますし、CDを繰り返し聴く、
何度も音読する、といったことは、これからもしていきたいと思います。

でも、「他毒」の部分は、もういいかな。
何でも、気が向くことは、どんどん試していきたいと思います。

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一つの belief なんですよね。それに囚われているということに気がつかない。
気がついてしまえば、卒業できるんですけどね。
それを教えてくれたのが、こちらの本。

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まったく、ひょんなことから、出会いました。
ありがたいことです。
 
 

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